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テクノロジーとイノベーションに関するコラム

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マーケットインを超えて~その壱~

作成日:2015年04月01日(水)

 

マーケットインを超えて ~その壱~ 「天才型」

 

マーケティングについて学び始めた当時、自分にとってよく整理がつかない問いがありました。それは、「iphoneはプロダクトアウト型の製品なのか」というものです。iphoneを世の中に送り出した故スティーブジョブズは、「マーケティング」という言葉が大嫌いだったことで有名です。

 

Some people say, ‘Give the customers what they want.’ But that’s not my approach. Our job is to figure out what they’re going to want before they do. I think Henry Ford once said, ‘if I’d asked customers what they wanted, they would have told me, ‘A faster horse!’’ People don’t know what they want until you show it to them. That’s why I never rely on market research. Our task is to read things that are not yet on the page

「顧客が望むモノを提供しろ」という人もいる。だが、私の考えは違う。顧客が今後、何を望むようになるのか、それを顧客本人よりも早くつかむのが我々の仕事なんだ。ヘンリー・フォードも似たようなことを言ったらしい。「なにが欲しいかと顧客に尋ねていたら、『足が速い馬』といわれたはずだ」って。人々はみんな、実際に"それ"を見るまで、"それ"が欲しいかなんてわからないものなんだ。だから私は、市場調査に頼らない。

私達の仕事は、歴史のページにまだ書かれていないことを読み取ることなんだ。

スティーブ・ジョブズ

 

こうした考え方を持ったジョブズからすれば、「The トラディショナルマーケティング」の考え方、すなわち、顧客のニーズを徹底調査し、分析して適切にセグメンテーションし、そのセグメント層のニーズに答える製品を開発とマーケティング戦略の立案と実行を一生懸命やっても、決してiphoneが生まれることにはなりません。伝統的マーケティングの見事な否定です。

では、iphoneはユーザーのことを無視して、ただ技術者/芸術家が自己満足するだけのおもちゃでしかない「プロダクトアウト型」の製品で、それがたまたま当たっただけなのでしょうか?弊社はそうではない、という立場をとります。

 

ヘンリーフォードにも、スティーブジョブズにも共通しているのは、「顧客が望むものを一番良くわかってるのは必ずしも顧客本人ではない。」という前提がありつつ、「こんなもの(四輪自動車やiphone)があったら、自分は絶対使いたい。」という、いちユーザーとしての自身の本源的欲求が出発点になっているところであり、これは既に多くの研究者や企業家によって指摘されています。この点において、「今の生産ラインで作れるものを作る」とか「技術的に可能な最高レベルをひたすら追求する」といったプロダクトアウト型の発想とは全く異なると考えます。

 

そして、このタイプには、もう一つの特徴があります。それは、ターゲティング/セグメンテーションといった概念が希薄/またはめちゃくちゃでかいことです。

 

四輪自動車もスマートフォンも、市場が既に形成され、成熟化が進んでいる現在では、市場は細分化され、そのターゲットに対するマーケティング戦略も異なって当然です。しかし、少なくともヘンリ―フォードは特定の富裕層だけに車を作りたかったわけではなく、スティーブジョブズは「20代前半、年間所得●●でITリテラシーの高いXX層」にターゲットを絞ってiphoneを開発したわけではないでしょう。

 

「こんな製品ができれば、みんなが喜ぶ。」という視点ですべての人々に新たな価値を届けたいという高い視座(というか狂気)は、既存市場をセグメンテーションする、といったレベルの概念を超えた、まさに市場の創造であって、セグメンテーションという概念とは別次元の話だと考えられます。(普通は、「みんな」をターゲットにするマーケティング戦略は「あまりほめられたものではない」という評価が多いと思われます)

 

弊社では、このタイプのマーケティング活動(マーケティングというよりは市場に対する姿勢)、というべきでしょうか)を、「天才型」と定義しています。

 

天才型

 

この「天才型」のマーケティング(経営)手法の最大の課題は、当たり前ですが、「全く再現性がない」「まねできない」点です。神がかったひらめきと、狂気を持ってそれをやりきる稀有な実行力と統率力のある「天才」に大きく依存しています。後講釈の好きなヒョーロン家コンサル的にあえて言うなら、天才が生まれ得る社会風土や多様性を社会全体、国全体で確保し、あとはひたすらそこから突然変異が生まれてくるのを待ち続ける体力と忍耐力が必要、ということでしょうか。

 

(ココカラ余談)

ちなみに、ここで言う「体力」とは、すなわち資金力のことです。より具体的、かつ乱暴に言うならベンチャーキャピタルのようなリスクマネーが、どこまで天才っぽい人に張り続けられるか、というばくちの問題です。残念なら例えば2013年に新規組成された日本のVCの出資者内訳をみると、その資金の大半が事業会社(3割)と銀行及び信金(3割)、及び政府公共団体2割で、これらで実に8割!です。こう考えると、日本のVCが思い切ってイノベーションに投資しにくいのは無理もないと感じます。

私は個人的にはGPIFこそがポートフォリオのリバランスを図り、積極的にオルタナティブ投資、中でも特にVC投資に資産を振り分けるべきと考えます。

GPIFの運用資産は実に約128兆6千億円です。これに対し、2013年以前の過去5年間に日本のVCがベンチャー企業に投資した資金の累計総額は(たったの)約6千億円。GPIFの運用総額の(たった)0.4%。2013年1年間のVC投資額は約1,800億円ですから、単年で見ればわずか0.1%です。

 

仮にGPIFの総資産の0.3%をVC投資に振り向ければ約3,800億円もの資金(2013年単年のVC投資額の3倍超)がベンチャー投資に振り向けられることになります。国民の大切な年金等をばくち的に投資するのはけしからんという人がいますが、数字に弱いおっさんの「ケタチ」(桁違い)な議論にすぎません。仮に全損しても運用総額の0.3%程度であり、社会にイノベーションを生むコストと考えればむしろ年金等を使って積極的に取るべきリスクではないかと思います。

さらにいうならば、日本のVCにより、1982年以降に設立され、統計が取れているすべてのファンド(374本)の出資金額価値総額比率((分配額+残存価値)/出資計)は、82年~2014年のトータル平均で1倍を超えています。(出所:ベンチャー白書2014) 統計的に見ても全損はまずありえないわけです。GPIFがオルタナティブに資金を振り向けない理由はありません。私が尊敬する元コラーキャピタルの水野さんがGPIFの初代CIOに就任されたのも、意図があってのことでしょうから、とても期待したいところです。

ちなみに、今でも十分金は余ってて、足りないのは優秀な経営者だ、という議論もありますが、私は全然そうは思いません。やってみなくちゃわからないのがイノベーションなら、VCの選別段階でふるいにかけすぎるのではなく、まず投資をして製品、サービスを世に問い、そこで審判が下されるべき、そのコストとリスクは日本人の資産(=GPIF)が取るべきではないかと考えます。AKB48方式とでもいいますか、オーディションで選別しすぎるより、ステージで歌って踊って、選挙して決まる、という方がフェアではないでしょうか。そのためのコストは国民全体が負担すべき、という理屈です。

 

最後は脱線気味でしたが、今回は、「天才型マーケティング」(なんだかこれ自体自己矛盾する言葉ですが)について書きました。次回は、「ペルソナ分析」について書いてみたいと思います。

 

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